29.『小雨』(名刺SSテキスト版)
傘立てに並んだ傘がいつもより少なかった。
たいした雨じゃないけれど、濡れた緑がとても綺麗で、玄関で傘を二本手にして待った。
日向さんは、「傘、いらねえだろ? 帰り、忘れそうだし」と言ったけれど、「俺が覚えているから大丈夫」と差し出した。
珍しく俺の後ろを歩くので、振り返ると、驚いた様な顔をして、「なんでもねえ」とボソッと言った。
「なんでもねえけど……、もうちょいゆっくり歩こうぜ」
クラスメイトに何度か声をかけられて、追い越していく背中を眺めながら、俺達はゆっくりゆっくり歩いた。
「……好き」
「……は?」
「雨が……好き。傘をさして歩くのが……好き」
この頃、俺は雨や風、日の光とかあれやこれや引っ張り出して「好き」と言う。
「俺も、かな。お前と傘をさして歩くのは好きだ」
「…………」
「んだよ?」
「…なんでもない」
近くにありすぎるのかな。
言う事も、訊くことも出来ず、苦しくて、それでも並んで歩きたいと思う。
「やっぱ、特別なんだろうな」
「……え?」
「俺がこんだけゆっくり歩いてやるのって、母ちゃんと直子と……お前だけ、かな?」
(2019.4.15 twitter投稿)リメイク