C翼二次創作/小次健love!  

明和スピンオフ

メモリーズ4「最強明和FC伝説 プロローグ・オリンピック代表監督吉良耕三誕生秘話」

↓ ネタバレ、感想。かなり長いです。
※公式に不満のない方は読まない方がいいと思います(それを言ったら他の記事もですけど。。。)




<まずはあらすじから>
舞台は沖縄。
片桐さんと賀茂さんが吉良さんを訪ねてきます。
「自分のサッカーは研究され対策を練り尽くされるだろう。監督を代えた方がいい」←賀茂
賀茂さんが監督を辞退したことを吉良監督に告げます。
そこで片桐さんが賀茂さんが公認に推薦したのが吉良監督だったと言います。
驚く吉良さん。子どもの指導しかしてこなかったワシが!
そこで賀茂さん
「世界に通用する日本サッカーを作りたいという情熱は誰よりも持っているはずだ。その理念の元あなたは明和FCで日向や若島津、沢田タケシを育て上げ、岬太郎も指導した経験がある。翼、若林、松山とも対戦しあなたはこの黄金世代の選手たちのことを誰よりも熟知している」
熱烈オファーに一晩考えさせてほしいという吉良さん。
その晩、布団の中で過ぎた日を思い浮かべます。
・現役時代の唯一の勲章、メキシコ五輪銅メダル。だが、ベンチを温めることが殆どだった。
・代表として海外遠征をするようになり、プロリーグ、育成システムなど世界のサッカーは日本とは違うことを知った。
・いつかは世界に通用するサッカー選手を育てたい。そのためには子供のうちから鍛えなくてはダメだと思った。
・明和FCをサッカーどころ埼玉に作った。

明和FCは吉良監督が作ったんですね。手作りでグラウンドを整備して。
この明和FC、メキシコ五輪銅メダルを獲得した選手が指導するということもあり、多くの子供が集まったらしいです。

ここで、指導を始めたばかりの頃の吉良さんの絵が。
明和FCのジャージを着ています。無印の頃の吉良さんと全然違うんですけどっ! 
ジャージのファスナーをきっちり上まで閉め、傍らに一升瓶を置いていない吉良のおっさんなんてそんな人知らないっ!という感じです。(既に暴言を吐きそうになってきました)

とにかく吉良さんが作ったらしいです。明和FCを。
指導は厳しく脱落者続出、保護者からのクレームも多かったらしいです。
でも、
「世界に通用するサッカー選手を育てるにはこれくらいしなければいけないんだと…と自分に言い聞かせて、やがて相手を完膚なきまでも倒すという明和FCのサッカーが確立された強いチームができた……」

さあ!でてきました。”最強の明和FC”

「トップに5年生の日向小次郎がいて、中盤には岬とタケシ、そしてGK若島津。さらにワシの厳しい指導に耐え抜いた優秀な6年生がその周りを固めていた。あのチームが一番強かったかもしれないな」
そんなわけで、黄金世代を思いだし、(「トラじゃ。トラになるんじゃ‼小次郎!」竹刀持って扱かれている小次郎イイ!大好き)
「ワシもトラになってみようと思います」監督を引き受ける。(端折りすぎ)
次回から「最強明和FC伝説」




長くなりますけど、先日リンクした過去記事などを引用しながら時系列を整理します。


◆小次郎、タケシ
①全小大会前
「おまえらのサッカーで全国大会の出場権を勝ち取るんじゃなかったのかよ」とチームメイトに言う小次郎。そのあと「じゃあな!」と言って立ち去る。
小次郎の後ろ姿を見ながら「あんなに意地をはらなくても……」などと話をしているチームメイト。
「キャプテン、去年おとうさんを亡くしてから学校には内緒で毎日いろんな所ではたらいてるって聞いたぞ」
この時、小次郎は6年生。去年ということは、5年生の時に父ちゃん亡くなっている。


②全小、タケシの回想シーン
3年の春に明和FCの入団テストを受けるタケシ。桜の花がひらひら。(4月)
その前日に小次郎と会う。その時、小次郎は新聞配達中なんですよね。
つまり、五年生の春(桜が咲く時期)より前に父ちゃん亡くなっている。

③WY編 回想
5,6年生をさしおいてレギュラーになったと父ちゃんに報告する小次郎。この時4年生。
翌日は給料日。父ちゃんはレギュラーになったお祝いに小次郎のボールを買った帰りに事故で亡くなります。このシーン、服装が夏です。小次郎はランニングに短パン。母ちゃんも尊達も半袖。雨ばかり降っているので梅雨時か秋雨か。6月中旬から9月中旬くらいかな。夏にしておきましょう。つまり、4年生の夏に父ちゃん亡くなっている。

①をスルーするしかない。WY編の回想の方が詳細に書いていますし。

∴ 小次郎の父ちゃんが亡くなったのは小四の夏
  小五の四月、タケシ、明和FC入団


◆岬

小5の夏休み、ふらののラベンダー畑の絵を描くために北海道へ。滞在期間一ヵ月。
その時松山と出会う。全小前、松山の回想シーンで雪の中で練習している。「岬、元気にしているか?」のシーン。
チームメイトに岬が抜けた穴をよく埋めたなと言っている。
つまり、全小北海道大会前に岬は転校している。

<岬くんがいた学校>
・山里小学校(小3)
・九十九里FC(小5夏)……ぼく岬2
・大阪難波SC
・博多サッカークラブ
明和FC
ふらの小(小5夏に一か月間滞在。その後小5冬に転校)
南葛小(6年対抗戦の日~全小終了後)
「こんな全国大会にでられるまでひとつのチームでみんなといっしょにサッカーができたことなんてこの南葛がはじめてなんだ」という発言があるので南葛は長かったと思われます。
・西峰小

◆若島津
<明和ーふらの戦を観た翼と岬の会話>
「体のぐあいが悪いのにみずから3得点をいれた日向くんもすごいよ」
「それにあのPKをとめたキーパーもね」←岬くん
「うん」

「あのPKをとめたキーパー」この台詞だけ見ても岬くんは「キーパー交替だ!」まで岬は若のことを知らないことがわかります。

事故にあった時期
<中三試合前、吉良監督の回想>
「4年前に事故にあって」と吉良さんが言っている。
四年前ということは小5。
事故にあった時の服装は長ズボン&半袖です。だから、冬ということはない。
全小が6年生の真夏。
肩と脚を骨折。全治一か月。後遺症なし。数か月間試合から離れていた。
ここらへんも考えて全小より前の季節で半袖を着ている、かつ、岬がいた時期と被らない、となると6年生の4月~5月中旬(ん-、中旬は厳しいかな)。6年生になったばかりと考えるのが自然ではないかと思います。
でも、おっさん「4年前」って言っているんです。4年前だと5年生じゃないの???

無印の時点でおかしい部分もありますが、強引に「間違えたのね」と済ませることができるのでそこは目を瞑って整理します。

(小次郎、岬、若の年齢を基準に書きます)

小4 初夏から夏 小次郎の父没
小5 4月 タケシ、明和FC入団
   夏 岬、九十九里。夏休みに富良野旅行。松山と出会う。
   冬 岬、ふらの小
小6 春 若島津、事故にあう(半袖を着ている)
   全小前 小次郎、南葛に偵察に行く。岬と再会(若は入院中)
   全小「南葛ー明和戦(初戦)」 
   岬とタケシは明和で一緒だったことがこの試合ではっきり描いてあります。
   全小「明和ーふらの戦」若島津登場 「キーパー交替だ!」
   翼との会話で岬は「あのPKをとめたキーパー」と言っている。




もう、パラレルとして読むしかないと思っています。

私の知っている明和じゃない。
明和カルテットの何が受け入れられないって、岬と若島津の出会いです。
少し話はそれますが、自作の設定も交えて言います。(ツッコミがくる前に予防線www)
私の作品で岬くんが登場するのは「名前」と「おにぎり」なんですけど、このお話では明和FCの監督は吉良さんではないことにしています。
若と日向の出会いの時期も時系列とは違うものがあります。中には「河鹿」のようなパラレルもあります。
明和カルテットのことを除いても、タケシを育てたのが吉良監督ですし、岬が明和にいた頃も吉良監督だったと考えるのが普通でしょう。でも、そこをあえて別の人にしました。
このお話で一番書きたかったのは親を亡くした二人の子供の触れ合いだったからです。
やるせなさや寂しさを表に出すことのできなかった太郎と小次郎の触れ合いをメインにしたかったので、吉良監督ではキャラが立ちすぎるので陰の薄い監督にしました。タケシはあえて出しませんでした。
他にも卒業式ネタとか、年の差小次健とか割とゆるゆるなんですけど、パラレルを書く時は、キャライメージだけで書いている。……と言うか、自分としては日向と若島津に見えるように書こう!という気持ちは公式ベースの話を書く時よりむしろ強いです。
とにかく、設定に関しては公式設定に合わせるより自作の雰囲気や言いたいことを優先してしまうのですが、傍から見れば「だったらそんなに気にしなくてもいいんじゃないの?」だと思います。
でも、気になるんですもん。
明和カルテットは無印若島津の謎めいた部分を変えてしまうから私としては受け入れがたいです。
「最強明和FC伝説」はパラレルとして読もうと思っています。








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