『中三、夏の大会のあと』(夏の小次健ふりかえり1)
「ありがとうございました」とスタンドに向かって一礼をし、最初に目に飛び込んで来たのがハンカチを握りしめた母、だった。
寮に戻ってからも余韻は消えず、今まで話したこともない後輩達にまで取り囲まれた。
行くとこ行くとこ祭り騒ぎで、とにかく風呂場だろうが便所だろうがおかまいなしで、漸く一息つけた頃には日付けが変わりかけていた。
「明日、家に電話しろよ」
「わかってる」
スタンドに若島津の家族の姿はなかった。
ただ、一度だけ母ちゃんが漏らした言葉を思い出しただけって言うか……。
若島津は家族の事をあまり話さないやつだし、俺も家の話は得意じゃねえし、言ってしまったことを少し後悔した。
「悪い。余計なことだよな」
「そんなことはないよ」
「いつだったか忘れちまったんだけど、母ちゃんがさ、言ったんだ」
「なにを?」
「だから、その、『若島津さんも一緒に行ければいいのに』って」
試合の前になると、誰かが「一家総出だ」とか、「親父まで仕事休んでくるって言うんだぜ。親バカ過ぎるだろ」なんて言うたびに、こいつの親はどうなんだろうと思ってはいた。
「日向さん、うちの親はね」
若島津は言葉を選ぶようにしてポツリポツリと話し始めた。
東邦受験を反対されていたこと。
道場を継いでほしいと言われていたこと。
会う度空手、空手と言われ、優勝出来なかったらサッカーをやめると言ったこと。
敗北はサッカーとの決別を意味していたこと。
全部聞き終えた時に、俺とこいつの三年間を見た気がした。
「おまえ、かっこよすぎるぞ」
抱え込んだ頭のてっぺん、渦を巻くつむじに泣きたくなって、あいつの左肩から漂う湿布の匂いに、ただ、泣きたくなって、
「俺……」
「日向さん?」
「俺、は……」
「?」
「なんかわかった気がする」
「何を?」
「だから、なんか。……な、なんとなくだ」
「わけわかんない」
あいつは笑ったけれど、小さく肩を揺らしながら擦る目尻が少し赤かった。
END