『夏休み最後の日』(夏の小次健ふりかえり16)
夏休み最後の日、ドリルの答えを丸写しした。
罪悪感はあったけれど、時間がなかった。
「キャプテン、宿題終わった?」
「もうちょっと。あがって来いよ」
玄関で、「お邪魔します」と声がしたが、若島津は部屋には来なかった。
「何してんだ?」
「あと何ページ?」
「3ページ」
「…………」
「何だよ」
「答え、写したりしてない?」
「…………」
「なんか、見るの嫌なんだけど」
終わったらサッカーをする約束をしていた。
バイトもあったし、約束も守りたかった。
電話で「真っ白だ」って言ったからバレバレだよな。
「あと20ページ」
若島津は「お邪魔します」ともう一度言った。
茶の間の前で足を止め、ストンと隅っこに腰を下ろす。
「ここで待ってる。たまには練習休もうよ」
山のように消しゴムのカスが出る。
茶の間のあいつが気になったけれど、消して消して消しまくった。
ゴシゴシゴシゴシ擦られてドリルは見るも悲惨な有様だ。
1回写しているから答えがするするかける。
その事を、あーだこーだと神様や天国の父ちゃんや、弟たちを連れて映画館にマンガまつりを観に行った母ちゃんに謝りながら、手を真っ黒にしてドリルをやり直した。
全部終わった時には、バイトまであと一時間も残っていなかった。
あーあ。待たせるんじゃなかったな。帰ってもらえばよかった。
茶の間へ行くと、あいつはチラシで紙鉄砲を作っていた。
しかも大量に。
「BURRN!」
「うわぁぁっ!」
意味もなく一応撃たれた振りをする。
「今のは罰」
言いながら、あいつはズックを履きに行った。
「紙鉄砲たくさん作ったんだな」
「ああ、尊クン達にプレゼント」
「サンキュー」
「でも」
「何だ?」
「ごめん。チラシ、勝手に使って」
申し訳なさそうにボソボソ言う。
「捨てるもんだし、かまわねえよ」
若島津はパッと顔を上げて、直ぐに黄色いキャップのつばを下ろした。
「一緒に新聞配ろうよ」
「くそーっ!負けねえっ!」
「俺だって」
ダッシュで新聞を配り終えた。
児童公園の隅の草むらから、秋を告げる虫の声がした。
「あっという間に終わったな?」
「かなり本気で走ったからね」
「それもそうだけど、……夏がさ」
俺達は翼に勝つ事が出来なかった。
持てる力は出し切ったつもりだけれど、悔しくて悔しくて堪らなかった。
「夏はまた来るよ」
そう言って、あいつは半ズボンのポケットに手を突っ込んだ。
「実はもう一個あるのだよ」
小さな紙鉄砲を出してニヤリと笑う。
それはパン!としょぼい音をたてたが、俺はもう一度撃たれてやった。
「うわぁ」
「撃たれないでよ」
「何でだ?」
「今のはさ、よーいドン!てやつ」
いつの間にか日は落ちて辺りは暗くなっていた。
パン、パンとしょぼい音が響く。
自分に向けられて音がする度に俺は避けたり撃たれる振りをした。
「なんで撃たれんの?」
「うーん、何でかなぁ」
理由なんか何もない。
ただ意味のないやり取りがしたくって、こんな時間も一緒だったら、そんな気がしただけだった。
「日向さん」
「え?」
「やっぱ、キャプテンの方がいいかな?」
「別にどっちでもかまわねえけど?」
「俺、サッカーしていない時は『日向さん』て呼ぶ事にする」
クルリとキャップのつばを後ろに回したあいつは、ほんの少しいつもと違って見えた。
ちびっとだけドキっとした。
******
あれから四年。
俺は性懲りもなく宿題に追われている。
「日向さん、頑張って」
「くそー。やってもやっても終わらねえ」
若島津はルーズリーフを一枚外し、紙鉄砲を作った。
音をたてちゃいけないと思ったのか、それはあいつの手の中でくるくる向きを変えるだけだ。
「鳴らさないのか?」
「え?撃たれたい?」
パーン!
「今のは何だ?」
「さぁね」
窓辺から吹き込む風。
それは微かに秋の匂いをさせて、サワリサワリとあいつの頬を撫でていった。
「夏も終わりだね?」
「終わらねーよ。また夏はやって来る」
ずっとこいつとサッカーしてぇなぁ。
来年の夏も、再来年も、ずっと一緒にいたいなぁ……。
END